久々にテレビでスギちゃんを見た。
いや、ほんと久々。
テレビの画面に出てきた瞬間、思わず、
「あ、スギちゃんだ」
って声が出そうになった。
なんだろうね、あの感じ。
めちゃくちゃ親しいわけでもないのに、昔よく見かけていた知り合いを、駅前かスーパーのレジ横あたりで偶然見かけたような、そんな妙な懐かしさがある。
初めてスギちゃんを見たのは、たしか今はもう伝説みたいになっている「笑っていいとも」だったと思う。
平日の昼に、当たり前のようにタモリさんがいて、当たり前のように芸能人が出てきて、当たり前のようにテレビが生活の中にあった時代。
今考えると、あれはあれですごい時代だったんだなと。
で、そこに突然出てきたのがスギちゃん。
デニムの袖なし衣装。
あのしゃべり方。
そして、
「ワイルドだろぉ?」
これよ。
一度聞いたら忘れないやつ。
ということで今回は、久々にスギちゃんをテレビで見て、なんだか思った以上に昔のテレビとか、ブレーク芸人のその後とか、自分の時間の流れまで思い出してしまった。
そんな話だすな。
久々にテレビでスギちゃんを見た
久々にテレビでスギちゃんを見た。
最近、俺氏がテレビをそこまで真面目に見ていないというのもあるんだけど、少なくとも頻繁に見かける感じではなかった。
だから画面に映った瞬間、ちょっとだけ反応してしまったわけだ。
「あ、スギちゃんだ」
「懐かしいな」
「元気そうじゃないの」
このへんが、ほぼ同時に頭の中を通過した。
人間の記憶って不思議なもんで、テレビでよく見ていた人を久しぶりに見ると、その人だけじゃなくて、その人がよく出ていた頃の空気まで一緒に戻ってくる。
スギちゃんを見た瞬間、俺氏の中で昔のバラエティ番組の感じが、ふわっと戻ってきた。
あの頃は、芸人さんが次々に出てきて、毎日のように誰かのギャグが話題になっていた。
学校でも職場でも、ちょっとした会話の中に流行りのフレーズが入ってくる。
今よりテレビの存在感が、まだまだ大きかった時代だった気がする。
もちろん今は今で、YouTubeだの配信だのSNSだの、いろいろある。
便利だし、自分の見たいものを見たい時間に見られる。
でも、あの頃のテレビには、みんなが同じものを見て、同じギャグを知っているような妙な一体感があった。
良い悪いは別としてね。
そんなことまで、スギちゃんを見ただけで思い出してしまった。
スギちゃん、なかなか記憶のフタを開けてくれるじゃないの。
初めて見たのは「笑っていいとも」だった記憶
俺氏が初めてスギちゃんを見たのは、たしか「笑っていいとも」だったと思う。
記憶が多少あいまいなのは許してほしい。
こっちも年を取ってるんでね。
昨日の晩飯ですら怪しいときがあるのに、何年も前のテレビの記憶を正確に出せと言われても困るわけだ。
ただ、スギちゃんを最初に見たときの印象は、けっこう強く残っている。
デニムの袖なし。
妙に堂々とした立ち方。
そして、あの独特の間。
最初に見たときは、
「なんだこの人」
という感じだった。
いい意味でね。
当時の「笑っていいとも」は、今思うと本当に日常の一部だった。
平日のお昼にタモリさんがいて、いろんな芸能人が出てきて、なんとなくテレビから笑い声が聞こえてくる。
あれが当たり前だった。
でも終わってから振り返ると、あの番組の存在ってやっぱり大きかったんだなと思う。
今はもう、同じような空気の番組ってなかなかない。
そんな場所に、ある日スギちゃんが現れた。
そしてあの決め台詞。
「ワイルドだろぉ?」
これがまた、耳に残る。
なんか知らんけど、真似したくなる。
意味が深いとか、そういう話じゃない。
言いやすい。
分かりやすい。
ちょっと雑なことをしても、最後に「ワイルドだろぉ?」と言えば、なんとなく笑いになる。
そこが強かったんだと思う。
シンプルな言葉って、やっぱり残るんだな。
「ワイルドだろぉ?」がテレビを飛び出していた時代
スギちゃんといえば、やっぱり「ワイルドだろぉ?」だ。
これはもう、本人の代名詞みたいなものだと思う。
しかもあのフレーズ、テレビの中だけで終わっていなかった。
普通に日常会話の中に入ってきていた。
ちょっと雑なことをしたとき。
ちょっと無理をしたとき。
どうでもいい強がりを言ったとき。
誰かがふざけて、
「ワイルドだろぉ?」
と言う。
それだけで、その場が少しゆるむ。
こういうギャグって、今考えるとすごい。
ただ面白いだけじゃなくて、みんなが使える。
しかも使う側に技術がいらない。
芸人さんのギャグって、本人がやるから面白いものも多いんだけど、スギちゃんの「ワイルドだろぉ?」は一般人が軽く使っても成立しやすかった。
ここがブレーク芸人の強さだと思う。
なんでも、スギちゃんのブレークのきっかけは『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』などへの出演だったようで。
そこから一気に名前が広がって、テレビで見かける機会が増えていった。
一度火がつくと、あっという間だった。
あっちの番組にも出ている。
こっちの番組にも出ている。
気づけば、みんなが名前を知っている。
当時はそういうスピード感があった。
テレビで売れるって、こういうことなんだろうなと。
今みたいにSNSでじわじわ広がる感じとは、また少し違う。
テレビに出る。
話題になる。
翌日にはみんな知っている。
そんな感じ。
あれはあれで、なかなかすごい時代だったわけだ。
ブレークのあとに感じる、時間の流れ
ただ、テレビの世界は本当に流れが速い。
一時期あれだけ見ていた芸人さんでも、少し時間が経つと、
「あれ?最近あまり見ないな」
となる。
これはもう、見ている側の勝手な感覚なんだけどね。
スギちゃんも、気づけば全国放送のバラエティでしょっちゅう見る存在ではなくなっていた。
もちろん、それは本人が何もしていないという意味ではない。
こっちが勝手に全国ネットのテレビだけを基準にしているだけだ。
でも、見ている側としては、テレビで見かける回数が減ると、どうしても、
「最近どうしてるんだろう」
と思ってしまう。
そして久々にテレビで姿を見ると、懐かしさと同時に、時間の流れを感じる。
昔は「新しく出てきた芸人さん」という印象だった。
それが今では、もうすっかりベテランの仲間入り。
これがなんとも不思議なのよ。
スギちゃんが急に年を取ったというより、こっちも同じだけ年を取っているわけだ。
そこが地味に刺さる。
「ああ、あの頃からそんなに時間が経ったのか」
ってなる。
テレビに出ていた人を久々に見て、自分の年齢を確認する。
なんだそれ。
でもあるんだよな、こういうこと。
懐かしさって、たまにやさしい顔をして、時間の経過を突きつけてくる。
なかなか容赦ない。
見かけなくなった=消えた、ではない
テレビを見ている側は、つい単純に考えてしまう。
「最近見ないな」
「消えたのかな」
「もう活動していないのかな」
でも、実際はそんな簡単な話じゃない。
全国放送の番組に頻繁に出ていないだけで、地方番組に出ていたり、営業をしていたり、イベントに出演していたり、ラジオや配信や舞台で活動していたりする人はたくさんいる。
テレビで見かけなくなったからといって、その人の芸能人生が終わったわけではない。
そこを、こっちはつい忘れてしまう。
というか、忘れがち。
全国放送のテレビに出ている人だけが現役みたいに思ってしまうのは、見ている側の雑な判断だと思う。
失礼な話だよね。
一度大きくブレークすることも大変だ。
でも、そのあと形を変えながら続けていくことは、もっと大変なんじゃないかと思う。
一瞬だけ注目される。
それだけでもすごい。
だけど、そのあとも何年も名前を残して、どこかで求められ続ける。
これは簡単なことじゃない。
芸能界なんて、次から次へと新しい人が出てくる世界だ。
そんな中で、完全に消えずに、どこかでちゃんと仕事を続けている。
これって、かなりすごいことなんじゃねーの、と思うわけだ。
派手な場所にいないから終わり。
そんな単純な話ではない。
むしろ、続いていること自体がすごい。
俺氏なんか、三日坊主のプロみたいなところがあるからね。
続ける人は、それだけで尊敬する。
地方番組や旅番組で続いていく芸能人生
スギちゃんは、今はどこかの地方の旅番組をやっているという話もある。
それを聞いて、なんだか少し嬉しくなった。
全国放送のバラエティで一気にブレークして、そのあと地方番組や旅番組で続いていく。
これ、決して寂しいことではないと思う。
むしろ、かなりいい続き方じゃないかと。
旅番組って、人柄が出るんだよね。
大きな声でギャグを言えばいいというものでもない。
訪れた場所で人と話す。
景色を見る。
食べ物を味わう。
地元の人とちょっとした会話をする。
そのときに出る空気感が、画面を通して伝わってくる。
作ったキャラクターだけでは、意外ともたない。
スギちゃんみたいに、どこか親しみやすくて、肩の力が抜けた感じの人は、旅番組と相性がよさそうだなと思う。
派手にドカンと笑わせるというより、
「ああ、この人が来たら場が少し和むだろうな」
という感じ。
それはそれで、かなり大事な仕事だと思う。
テレビで大ブレークする時期もあれば、地方の番組で長く見てもらう時期もある。
営業でお客さんの前に立つこともあるだろうし、イベントで呼ばれることもあるだろう。
芸能人生って、たぶん一本のまっすぐな道じゃない。
大通りもあれば、脇道もある。
田舎道もある。
たまに行き止まりっぽく見える道もある。
それでも歩いていれば、また誰かに見つけてもらえる。
そんな感じなのかもしれない。
まあ、勝手にしみじみしてるだけなんだけどね。
テレビは、その時代の自分まで思い出させる
久々にスギちゃんを見て感じたのは、テレビに出ている人の記憶って、その時代の自分の記憶ともつながっているんだなということ。
スギちゃんがよくテレビに出ていた頃、俺氏は何をしていただろう。
どんな生活をしていただろう。
どんな気分で毎日を過ごしていただろう。
そんなことまで、ふと考えてしまった。
別にスギちゃんに人生相談したわけでもない。
ただテレビに映っただけ。
それなのに、こっちの記憶の引き出しが勝手に開く。
不思議なもんだ。
テレビ番組そのものを細かく覚えていなくても、流行っていた言葉や、よく見ていた芸人さんの姿は意外と残っている。
そして何年も経ってから、その人を久しぶりに見た瞬間、
「ああ、あの頃よく見てたな」
「このギャグ流行ってたな」
「あの番組、懐かしいな」
と、昔の空気が戻ってくる。
たった数秒テレビに映っただけで、である。
テレビって、やっぱりすごい。
ただ情報を流しているだけじゃなくて、見る人の記憶の中に、その時代の空気を残している。
特に昔のテレビは、生活の中に入り込んでいた感じがある。
晩飯を食いながら見ていた番組。
昼休みに流れていた番組。
家族がなんとなくつけていたテレビ。
そういう何気ない時間の中に、芸人さんやタレントさんの記憶が紛れ込んでいる。
だから久々に見ると、その人だけじゃなくて、自分の昔の暮らしまで少し戻ってくる。
いいような。
少し怖いような。
まあ、年を取るってそういうことなんだろうね。
ブレーク芸人のその後に思うこと
ブレーク芸人という言葉には、どこか一瞬の輝きみたいなイメージがある。
一気に売れる。
一気に話題になる。
みんなが真似する。
そして、次の流行へ移っていく。
テレビって、そういうところがある。
見ている側も、けっこう残酷だ。
散々笑っておいて、少し見なくなると、
「あの人、今どうしてるんだろう」
なんて軽く言ってしまう。
でも、本当はその先にも人生が続いている。
当たり前だけど。
テレビでよく見る時期だけが、その人のすべてではない。
ブレークしたあと、どんな場所で、どんなふうに仕事を続けていくのか。
そこにも、その人らしさが出るんだと思う。
スギちゃんは、最初は強烈なキャラクターとフレーズで注目された。
でも今回、久々に見て俺氏が感じたのは、
「ああ、まだちゃんと続けているんだな」
という安心感だった。
これ、地味だけどいい。
派手に毎日テレビに出ているわけではなくても、どこかで仕事を続けている。
誰かに呼ばれている。
誰かに覚えられている。
それは、とても大きいことだと思う。
芸能界で長く続けるというのは、派手なブレークよりも、ずっと地道なことなのかもしれない。
そしてその地道さは、見ている側が思っているよりずっと大変なはずだ。
一発当てることもすごい。
でも、そのあとも残ることはもっとすごい。
久々に見たスギちゃんに、そんなことを思ってしまった。
なんだかんだで、芸人さんってすごい仕事だすな。
まとめ:久々に見たスギちゃんに、少し元気をもらった
久々にテレビでスギちゃんを見た。
ただそれだけのことなんだけど、思った以上にいろいろなことを考えてしまった。
初めて見た「笑っていいとも」の記憶。
「ワイルドだろぉ?」が流行っていた頃の空気。
テレビに勢いがあった時代。
ブレーク芸人のその後。
地方番組や旅番組で続いていく仕事。
そして、昔見ていた人を久々に見ることで、自分の時間の流れまで感じてしまうあの感じ。
テレビで見かける回数が減ったからといって、その人が消えたわけではない。
それぞれの場所で、それぞれの形で、ちゃんと続いている。
そう考えると、なんだか少し励まされる。
一瞬の勢いだけじゃなくて、そのあとも続いていく人生がある。
派手じゃなくても、誰かの記憶に残っている仕事がある。
それって、なかなかいいじゃないの。
久々に見たスギちゃんに、そんなことを思わせてもらった。
またどこかの番組で見かけたら、きっと俺氏はまた、
「あ、スギちゃんだ」
と思うんだろう。
そしてちょっとだけ嬉しくなる。
まあ、こんなもんだすな。
「ワイルドだろぉ?」
……いや、最後それ言いたかっただけだろ、って話だけどね。
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